1942年までに、ブレッチリー・パークの暗号解読活動は急速に拡大しており、非常に特殊な種類の頭脳を必要としていた。すなわち、圧力の下で素早く、横断的で、パターンに基づく推論を行う能力である。標準的な経歴書のどこにもそれを予測させるものはなかった。学位や推薦状は型通りの勤勉さを選別するものであり、またその求人自体を公に告知することはできなかった。公の告知で職務名を明かすだけでも、新聞を読むあらゆる人、敵国を含む人々に、英国で最も機密の機関の存在が漏れてしまうからである。

一方、デイリー・テレグラフ紙の難解なクロスワードは全国的な人気を誇っており、1942年1月、ガヴィン氏とだけ名乗る読者が、同紙のパズルは12分以内に解くことなど到底できないと主張する投書を寄せた。同紙の編集者アーサー・ワトソンはその挑発に乗り、読者に自らそれを証明してみせよと招待した。この招待は、ニュースルームの遥か外にいる人々にとっても、ひそかに有用なものとなっていった。

25人の読者がテレグラフ紙のフリート・ストリートのニュースルームに集まり、12分の時計と競いながらクロスワードに挑んだ。5人が制限時間内に解き終え、最速は7分57.5秒であった。1人は急ぐあまり単語を綴り間違えたため失格となり、資格を得たのは4人となった。同紙は競技者の写真とパズルそのものを掲載した。数週間後、陸軍省はその4人それぞれに「国家的重要事項」について手紙を送った。それは参謀本部のニコラス大佐との面接であったが、実際にはブレッチリー・パークへの採用であった。

公開のクロスワード競争を隠れた選別手段として実施した。制限時間はパターン推論の速さを順位付けし、新聞という覆いによって、職務名を明かすことなく才能ある人々が自ら名乗り出ることができた。

クロスワードは、時間的プレッシャーの下で素早く、横断的で、パターンに基づく推論を測定した。これはまさに暗号解読に必要な技能であった。

コンテストは無害な娯楽に見えたため、秘密機関の存在が漏れなかった。

テレグラフ紙の全国的な発行部数により、求人を告知することなく多数の潜在的な候補者が集まった。

12分の制限時間が競技者を順位付けし、陸軍省が上位の完走者に単純に連絡できるようにした。

ある技能が希少で、その役割が秘密である場合には、適切な頭脳を引き寄せる公開のゲームでそれを公然と試し、勝者の中から採用すればよい。

25人の読者のうち4人が12分のクロスワードを制した。数週間後、陸軍省は彼らに「国家的重要事項」について手紙を送った。この出来事はブレッチリーの創設伝説の一つとなり、またテレグラフ紙の最も誇らしい物語の一つとなった。同紙はそれ以来、記念版のパズルを再掲載しており、歴史家たちは、新聞社が陸軍省の関心を事前にどれほど知っていたかについて今なお議論している。これは公文書館自身も、おそらく未解決のまま残るだろうと述べている問いである。

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出典

  1. Cracking the Enigma Code: The Daily Telegraph's Crossword Challenge Gale (The Telegraph Historical Archive) · review.gale.com
  2. Telegraph crossword: Cracking hobby won the day (archived copy) The Daily Telegraph · web.archive.org