1976年以前、荷物を送りたい日本の家庭には二つの選択肢しかなかった。郵便小包か鉄道の手荷物である。どちらも遅く、受付時間は固定され、家庭ではなく機関向けに作られていた。C2Cの小口配送は採算が取れないと広く見なされており、ヤマト運輸の取締役会もこの構想に反対した。それでも小倉昌男社長はこれを押し通し、1976年1月20日、ヤマト運輸の新しい家庭向け小口配送サービスは初日に11個の荷物を扱ってスタートした。

三つの選択が、これを単なる一サービスではなく一つのカテゴリーにした。名称である。候補として検討されていた「YPS」は退けられ、代わりに「宅急便」が選ばれた。文字どおり「家庭へ急送する」という意味で、速さと戸口までのサービスを一語で顧客に伝えた。運賃である。距離に応じた従量制ではなく、地域別の定額運賃で、安く予測可能だった。運用である。電話一本で翌日の荷物を集荷し、翌々日に配達する。梱包も不要だった。

成長曲線は命名への賭けが正しかったことを裏付けた。1979年には約1000万個、1984年までに1億個、2004年までに10億個、2014年までに15億個。これは全国ネットワーク(1997年までにカバー率100%)と約12万か所の集荷拠点の上に築かれた。同社は市場での自らの取り分を守るため、運輸省と法廷で争うことまでした。国家が想像していなかった民間部門の革新だった。

顧客が名付けたサービスが勝った。

命名はポジショニングである。「宅急便」は速さと自宅配達という約束のすべてを商品名に凝縮し、最初の会話を説明ではなく辞書の項目にした。

定額運賃は信頼を書き換えた。家庭は価格を記憶から言えるようになり、従量制運賃とは根本的に異なっていた。予測可能性こそが、個人利用を合理的にした特徴だった。

戸口集荷は最後の摩擦を取り除いた。郵便局への往復が電話一本に代わり、それによってこのサービスは店舗ではなく人々が使えるものになった。

あるセグメントが採算が取れないと切り捨てられるとき、そのコストは通常、需要ではなく既存事業者のチャネルにある。摩擦の価格を付け直し、顧客の願いに合わせて名を付け直せば、そのセグメントは市場になる

宅急便は日本で家庭向け小口配送を指す一般名詞となった。ヤマト運輸は佐川急便や日本郵便を抑えてカテゴリーのリーダーであり続け、1976年の開始は民間の小口物流と家庭から家庭への経済の誕生として教えられている。

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出典

  1. 宅急便 Since 1976 — ヤマト運輸 50周年 ヤマト運輸 (Yamato Transport) · kuronekoyamato.co.jp ·
  2. 物流革新に勝ち続けた「クロネコヤマトの宅急便」強さの秘密 @DIME (小学館) · dime.jp ·
  3. もうすぐ40年! 宅急便のこれまでとこれから:特集・進化する物流ビジネス最前線 ITmedia ビジネスオンライン · itmedia.co.jp ·